グローバル化した世界では、多種多様な人々との交流が必須になります。またグローバル化によってコミュニケーションも形を変えています。言い換えれば、Slack や Chatwork、Skype などのチャットツールだったり、ZOOM だったり、様々なクラウドサービスだったり、スマホを使えばすぐに海外の人々とコミュニケーションを取れる時代だということでしょう。
日本は島国であり、「ガラパゴス」と揶揄されています。それは他国と異なり、自然と日本人以外の人種の方々とのコミュニケーションを制限し、最小限にしていたことにも起因しています。
そしてそのことによって日本語の特殊性がより一層際立っている事実があります。これが「日本はハイコンテクスト文化、ハイコンテクスト社会だ」と言われる所以です。
今回はこの「ハイコンテクスト」と対極となる「ローコンテクスト」の 2 つのキーワードに迫ります。
コンテンツ
ハイコンテクスト、ローコンテクストとは何か
まず初めに「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」とは何かを解説します。
「コンテクスト」とは、「文脈や背景」と訳されますが、つまり言外の部分=「文化、慣習、知識、価値観」などのことを指します。
「ハイコンテクスト」とは、「コンテクスト(文脈や背景)」が共通認識となっている状況であり、この場合には、すべてを言葉にする必要がなくともお互いに理解し合えるので、ハイコンテクスト文化と呼ばれます。
一方、こういった背景が共有できていない場合には、すべて言葉で説明しないといけないため「ローコンテクスト」と呼ばれます。これは例えば様々な人種がいるアメリカのような国の場合は、背景がそれぞれ違うので「言わないと理解してもらえない」ということです。
表にまとめると以下のようになります。
ハイコンテクスト社会 | ローコンテクスト社会 | |
---|---|---|
背景 | ・単一民族、単一国家である意味でクローズドな環境 ・醸成される価値観などが似通っている ・移民や他の人種が極端に少ない | ・様々な人種が住む世界 ・文化や歴史的背景が多様 ・価値観も多様 |
特長 | ・言葉ですべて説明しなくても意思疎通しやすい ・間接的な表現が多い ・「空気を読む」ことができる ・「察する力」が必要とされる | ・きちんと正確に意図を伝える必要がある ・相手に敬意を払いつつ直接的な表現を使う ・言わなかったことは言わない方が悪い ・察するよりもきちんと伝える |
ハイコンテクスト文化からローコンテクスト文化へのシフトはすでに始まっている
このように「はっきり具体的に伝えないと相手には伝わらない」というのが「ローコンテクストの社会」です。
そしてご存知の通り、世界はローコンテクスト社会です。
しかし残念ながら私たち日本人は、このローコンテクストが非常に苦手なのです。「ツーカー」という言葉や「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉、または「空気を読む」などという日本語があるくらい、日本語というのは「言外を察する」「空気を読む」ことを求められていますし、私たちは子供の頃からそれに慣れ切っています。
これはつまり、受け手の解釈に委ねられている部分が大きいとも言えます。(「気が利く」というのは褒め言葉ですが、まさにハイコンテクストならではでしょう)
ところが世の中は多様化しています。働き方が画一的でない今日、日本だけで考えても明白でしょう。
その変化スピードは落ちるどころかますます早くなる一方です。日本の中でも世代によっては価値観がまるで異なっています(働き方ひとつとってもそう)し、歴史的側面からも考え方が違えばハイコンテクストな状態を維持するのは難しくなっています。
これは世界基準で見れば(当然、前述のようにローコンテクストですから)日本国内でも、きちんと説明しなければならない世界(=ローコンテクスト社会)に傾いているということです。
つまり受け手ではなく、話し手側が、必要な情報を必要なタイミングで必要な量を提供しなければならないということです。
参考:落ちぶれるハイコンテクスト人材、台頭するローコンテクスト人材
「コミュニケーションの欧米化」と「察する時代」の終焉
これまで述べてきたとおり、コミュニケーション自体が欧米化(=ローコンテクスト化)しているということです。
例えば、海外の、特に欧米で作成される契約書はとても厚みがありますが、これは契約時に誤解を無くすためであり、「すべて文字にして書いておく」のは当たり前というひとつの好例ではないでしょうか。
そして日本でもインバウンドしかり、外国人労働者しかり、このグローバル化=ローコンテクスト化の波はすでに、そして確実にやってきています。
今までは「アレ、やっといて」で済んでいたものが「いつまでに、どうやって作業してほしいのか」ということを確実に伝えなければなりません。
これは日本人の感覚にとってみると大変煩わしい部分もあります。しかし、(繰り返しますが)誰もが「空気を読む」ことはあり得ないですし、「察する」という行為が通用しない時代なのです。
つまり、個人の価値観が多様化しているということなのです。
ローコンテクスト社会に適応するために
ローコンテクストな社会では、「1から10まで誤解を生まない表現で説明をする」必要があります。
私たち日本人はなかなかこの発想になれませんが、この根底には「自分と相手は違う」という価値観があります。この部分は、コミュニケーションの根幹でもあり、これまでも述べてきました。
上手なコミュニケーションをとるための要諦とも言えますが、「価値観の違いを認める」ところがスタートなのです。
これらの記事でもポイントは「自分と相手が違う」という前提があります。違うのだから「価値観も違う」という理解です。
これが完全に欠落してしまっている日本人の場合、いったい何が起こるのか想像してみましょう。
話し手は、受け手の知識や経験を考慮することなく、「自分の話したい順番で、略語を使い、相手の理解度を確認せずに、主観と客観を混在させ、一方的に、話す」ことになります。
そして、話したほうだけが満足します。「全部伝えることができた」と感じています。
一方、受け手が上述の前提を理解も共有もしていない場合、話している内容以外の「話し方や素振り、態度」ばかりに目が行ってしまいます。いわゆるノンバーバルな部分だけが情報として入ってくるわけです。
ときには「この人、本当は違う意見なのではないだろうか?」といった(ある種)勘ぐってしまうような心理も働いてしまいます。
※コミュニケーションにおいてノンバーバルな部分は言語よりも多いので、あながち間違ってはいないのですが、これが過度になると「察する」ことばかりに意識が向いてしまい、肝心の部分を聞き逃してしまうことにもなりかねません。
これは、受け手が(勝手に)想像力を駆使するから、誤解が生まれてしまうケースです。
そしてこれがこれまでの「日本式のコミュニケーション方法なのだ」と感じたことは誰しも経験があるでしょう。
では、こういった無駄なトラブルを回避し、ローコンテクスト社会に適応するためにはどうすればいいのでしょうか?
実は、簡単に実践できます。
1. テンプレートやフォーマットを用意する
ローコンテクスト社会では、「言わないと伝わらない」ため、必然的に話し手の責任が大きくなります。これは先ほどの契約書の例と同じですが、説明する量が圧倒的に増えるのです。説明責任が大きくなると言えます。
これは、ビジネスでは上司が部下に伝えるときがイメージされやすいですが、ホウレンソウにおいては、部下から上司への説明でも同様です。
「正確に伝える」ことがビジネスで成果をあげる上で非常に重要になります。正確に伝えるために、いつでも同じ品質で行動するためには、報告する項目をテンプレート化したり、フォーマットに則って話をするということが考えられます。
どんな人でも、このルールさえ守っていれば人種も性別も年代も関係なく、一定の品質で情報を伝えることができますし、受け手も安心です。
まず、同じ部署、同じグループといった数人でスタートしてみましょう。
これなら明日からと言わず、今日からでも実践できるでしょう。最近は、チャットツールなども沢山ありますので、これらをカスタマイズしたりすればすぐに実践できますし、さほど追加コストもかかりません。
2. 運用ルールを徹底する
テンプレートやフォーマットを準備したら運用ルールを定めます。この「フォーマットに則って報告すること」が絶対です。例外はありません。例外を作った時点でルールではないためです。
またルールを破った場合には何らかのペナルティを課しても良いでしょう。全員で「テンプレートで基本的なコミュニケーション取るのだ」というルールを徹底するためです。
これには聞き手も話し手も関係ありません。どちらの立場の場合もルールを順守します。
3. 業務マニュアルなどに集約し発展させる
ルールを徹底するとスムースに運用できるようになります。そしてローコンテクスト社会でのコミュニケーションに慣れて来たら、それらを拡大させるために業務マニュアルに落とし込んでいくことが必要です。
このようにして、グループや部署から事業部、全社、世界へと展開していきます。もちろん、ローコンテクスト社会への適応は日本人にとって決して簡単なことではありません。
しかし、徐々に変化させていくことで「習慣化」されますので、いつしかそれが当たり前になってくるでしょう。
ハイコンテクスト(日本語)からローコンテクスト(英語)にするとき、言葉を補うから長くなる
ちなみに日本語から英語に翻訳する場合、英語の方が文章として長くなる傾向があります。これはまさにハイコンテクストとローコンテクストの文化の違いが影響していると言えます。日本語は省略できますが、英語はなかなかできません。補足する必要があるからです。
どの言語も歴史や文化の影響をモロに受けていますから、文法構造が違ったり、逆に似たような言葉を遠い国が使用していたりすることもあります。
ハイブリッド コミュニケーション
これまでローコンテクスト社会へのシフトとその対応をお伝えしましたが、日本語の良さ、日本の良さというものもできるだけ失いたくありません。
また現実的な問題として、すべてをローコンテクストのコミュニケーションで行うということは不可能ですから、私たちが意識するのは TPO に応じた「使い分け」ではないかと思います。
簡単に言えば、仕事とプライベートでの切り分けです。
仕事は、必ずその先に社内や社外の「お客様」がいます。そのお客様へ商品やサービスを提供するために「正確なコミュニケーション」が必要になります。そのためにはローコンテクスト コミュニケーションの方が安全です。
一方、プライベート、例えば家族で話をするのにローコンテクストである必要はありません。(もちろん敬意を払うという点は前提としてありますが)「アレ」「コレ」という言葉が出てきても、相手も理解できるでしょう。コンテクストの共有が強いからです。
また、最悪の場合、まったく理解されなかったとしてもコミュニケーション上の問題はありません。(他の問題はあるかもしれませんが)リカバリする機会があるからです。
例えば、日本のお笑いなどは明らかなハイコンテクストコミュニケーションです。もしローコンテクストになってしまえば言外の意味まで説明することになり、「オチ」が先に分かってしまったり、想像する楽しみがなくなってしまいます。
日本語の素晴らしさは、その「奥ゆかしさ」や「間接的な表現」でもあります。読み手の想像力に委ねる部分も大きいのです。だからこそ、同じ言葉を見ても、様々な感じ方ができるわけです。感性に問う言葉も多いのは日本語ならではでしょう。
日本はハイコンテクスト文化、ハイコンテクスト社会の代表格です。察したり、気を遣うというのは日本の美点だとも言えます。これがあったからこ発展したものも多くあります。
一方、ローコンテクストはこれらをすべて破壊するものではなく、相手との関係性によって使い分けることが大切です。
そして、私たち日本人だからこそ、ハイコンテクストでもローコンテクストでもどちらの文化、世界を知っているからこそ、「ハイブリッドなコミュニケーション」を取れるのではないでしょうか。
トライベクトル株式会社 代表取締役。会社経営 19年目。翻訳・ローカライズ業界24年。翻訳・ローカライズ実績年間10,000件以上。
現在は BtoB (特に IT 企業)専門のマーケティングサポート(動画や導入事例などのコンテンツ制作全般)と言語サービス(翻訳、オンライン通訳、英会話、e-learning 講座等)を行っています。